存在を知らす、知らされる 〜 あれ? まさか 〜
愛する家族、愛する人、愛犬、愛猫・・・
他界後、その存在を知らせるようなことがあり、
ご依頼後もメールで知らせてくださいます。
” こんなことが、ありました。”
” 偶然かと思うようにしても、幾度もあると
見守ってくれているのかも・・・。”
きっと 多くの人々が そうした経験を
されているでしょう。
他界した人々は、自分のやりたかったこと、
やりたいことを家族や恋人、知人友人にさせる _
ということは ないと思います。
そっと見守ることはあっても、
自分以外の誰かに ” させる ” というのは
やってはいけないことなのです。
例えば・・・
うちの家族が随分前にある霊能者の方から言われたのは、
「 ○○が食べたいと言っている。
あなたが食べるか、仏壇に供えて。」
です。
当時、それを聞かされた時 私は大笑いしました。
当たると言われていた別の方も私の祖母が
「 うどんを食べたい、あぁ、食べたい
っておっしゃっていますよ。」
と言われた時には、祖母がどうこうではなく
そんなことを伝えてくる方を心配したものです。
そうしたことを言いに、わざわざ 来られません。
良識常識で考えれば わかることです。
存在を知らすのは、
他界後まもないうちが確率的には高いです。
そうしたことも、次第に回数は減ります。
私たちが、悲しみ続けていると
< そんなに泣かないで。私は元気だから。見守っているから。>
愛情プラス心配されたりは するでしょう。
それは、こちらの世界もあちらの世界でも
同じ。
私たちにとって、
” あれ? まさか・・・”
と思うような偶然すべてが、愛しい家族や愛しい人の
” しわざ ” ではありません。
可能性は高くなるかもしれませんが、
愛する家族、人、ひとりの ” しわざ ” では
ないと思います。
あちらの方々とこちらの方々からの愛と
自分の無意識のものも混ざって
到底、自分では成し得ないと思うような
奇跡的なことが起こるのだと 思います。
そうした偶然というのは、
愛しい人の存在を 心から信じたいけれども
信じにくい状態にある、
悲しみが深い時に 起こりやすいように思います。
そうした偶然を そう思う自分を
” 私は 頭がおかしくなったんだろうか・・・ ”
そう思う必要は ありません。
大切な人の他界を経験した人々は
そうした経験をされています。
ただ、私が思うのは、
そうした偶然のような経験は
自分の胸に 宝物として 扱うこと。
これが大切だと思います。
見えないこと、
見えない世界の美しさは
自分の心の内で 大切に温めるのが最高と思います。
そうした偶然がなくとも、
” 愛しい人は元気で今も居る。”
いつか、
心から そう思えてきますよ。
私は 自分の経験から
そう思います。
今月最初ぐらいの頃の写真です。
今では随分と育ってるでしょうね、夏野菜たち。
時間をみつけて、見に行きたいと思います。
私のあちらの居る家族や親戚たちは
うんともすんとも言ってこない。(笑)
” お〜い。元気かぁ〜?! ” とたまに心で話すのですが。
まあ、元気にしてるだろうから いっか。
アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)